この記事では、現状の自分について考える為に、生きてきた人生をおさらいしたいと思います。
未来に向かって進むには、過去と現在のおさらいが必要。よろしければ最後までお読みくださいね。
現実として育つ環境は大事です
私の生い立ちなぞを軽くご紹介です。現在の自分に至るまでの整理をしました。
どんな幼少期を過ごしたのか
私の両親は、飲み屋を経営していました。いわゆるスナックです。もちろん昼夜が逆転している仕事ですから、昼間は両親は寝ている。か、遊びに出掛けている(笑)。完全なる放置プレイでしたが、幸いにも祖母が同居していましたので食事の心配や孤独を感じる事はありませんでした。
水商売、まさに水を売っての商売、儲からない訳がありません。ただし、それはキチンと売掛が回収できればのお話。そして、浪費癖のある両親でしたから家にはお金がない。借金はある(笑)必然的に祖母も働きに行くことになります。でも、普通に暮らせるほどお金がない。学校から帰ると電気がつかない。。トイレに行っても水も出ない。。。
電話が鳴ると私が出る役でした。大抵が借金の催促電話。「僕さぁ、本当はお母さんもお父さんも側にいるんでしょ?出しなさいよ!」なんて言われ、子供ながらにしんどい思いでした。
多感な時期にそんな環境で育つと。。。
やはり、悪い子になります(笑)
小学生でタ○コを吸ったり、人のお宅に忍び込んだりと、、、何とか学校の先生に叱られるぐらいで済んだのが不思議なぐらい。その影で、先生方、そして両親祖母が穏便に済ませるように頭を下げてくれたのでしょうね。今思えば申し訳ない気持ちでいっぱいです。
とりあえず何か一つでもあればとどまる。
そんな両親でしたが、一つだけ私に熱心になってくれたものがありました。少年野球には通わせてくれた事です。もちろん月謝の支払いがやっと、お金がないので道具なんて他のチームメイトより、長〜く使う。子供ですからね、感謝より劣等感が燻ってましたが。
当時の私は、運動神経が寸断されていましたから当然野球も下手くそ(笑)試合なんて出場の見込みもない。それでも両親はグランド整備の当番、試合時の車の提供をしてくれてました。放置プレイの中でもそれだけはキッチリと。
ろくでもない両親でしたが、一つでも親らしい事をしてくれた。少しでも触れ合える時間があった。悪いことをするにも親の姿が脳裏にチラつく。だから、悪い子ぐらいで済んだのかもしれません。
今日の私的なおさらい
中学に入るまでのお話をしました。グランドの整備にトンボを引いている親父の姿を今でも鮮明に覚えています。お前みたいな、そんな奴ばかりじゃねーよ!確かにそうかも知れません。ただ、私にはそうでした。
一つでも親の愛情は大事なのです。

コメント